左の写真は、平成13年1月7日青森駅発行の、業務連絡書です。
この年の3月2日を以って、大阪~青森を結ぶ、昼間走る特急としては最長(1040km)の列車、特急「白鳥」号が姿を消しました。
どうしてもその前に乗っておきたいと思い、当時豊橋に住んでいた私は、豊橋~大阪~青森~上野~豊橋というルートで旅程組み。
本当は青森と札幌を結ぶ急行「はまなす」号へ乗りたかったのですが、時間的な余裕の無さもあり、あえての寝台特急「北斗星」号ターンを選択。
いざ大阪へ向かい、白鳥号へと乗り込みました。
この頃はまだ、テレビ等で廃止のニュースも流れておらず、大阪発車の時点では80%くらいの乗車率。
しかし、新潟を出発する辺りから空席が目立ちはじめ、秋田へ入る頃にはガラガラ状態になっていました。
青森行き5001M~5011M「白鳥」の新潟発車時刻は16:29、秋田発車時刻は20:28ですので、時間的にも仕方がないことだったのかもしれません。
ロングラン特急だからこそ味わえた変化は、同じ列車の中で、大阪近辺から乗車する人は普通の靴、富山から乗車する人は滑り止めのついた靴、新潟以降は長靴という、足元の違い。
もちろん身に纏う防寒具にも違いが見られ、1000km超え特急ならではの冬の姿に、静かな興奮を覚えました。
列車は吹雪の中を勇敢に進み、ついに弘前へ停車。
「ああ、あと一駅なのか...」
と私がため息を漏らした瞬間、フッと照明が消えました。
「え?デットセクション?そんなことは...」
と思っていたら、駅員さん、運転士さん、車掌さんがホームに集まり、何やら深刻そうな表情。
どうやら電気系統が壊れてしまったらしく、運転はおろか照明も、暖房も消えてしまったのです。
車掌さんが各車両を回り、肉声で状況を報告。
すると、はまなす乗り換え組(白鳥からはまなすへは青森で10分の乗り換え時間)からどうすればいいのかと尋ねられていました。
駅務室で何度かやり取りを重ね、多少時間がかかるけれども車両が復旧できそうとのことで、はまなすには発車を待ってもらうということになりました。
車掌「はまなすにお乗換えのお客様、人数を把握しておきたいので挙手を...」
私「あの...」
車掌「はい、はまなすにお乗換えですか?」
私「いえ、北斗星2号なんですけど...」
車掌「...は?」
私「ごそごそ...(きっぷを取り出す)」
車掌「!!...戻られるんですか?!」
私「はい!」
実は、この時点ではまだ北斗星2号に乗車できる可能性がありました。
しかしながら刻一刻と近づく乗車予定時刻。
やきもきしていると、車掌さんがやってきました。
白鳥から北斗星2号への乗り継ぎは私だけなので、接続待ちはできない。
2時間ほど後に来る北斗星4号なら乗れるかもしれないので、青森駅で聞いてみてくれ、とのこと。
確定事項ではないので不安ではありましたが、青森では運転停車のみで客扱いをしないはずの北斗星4号に乗ることができるチャンスだと、少しワクワクしてしまいました。
そして停電から1時間50分後、ようやく電気が復旧。
何とか青森まで走りきりました。
おつかれさま、ありがとう!485系ロングラン特急「白鳥」号!
問題はこの後。
ドキドキしながら青森駅の駅長室に入りました。
私「あの、白鳥の遅れで北斗星2号に乗れなかったんですけど...」
駅員さん「ああーはいはい!聞いてますよ。じゃ、業務連絡書書きますんで。」
すんなりと、写真の業務連絡書を出して下さいました。
しかし、よく見ると気になる点が。
私「これ、最後に『原券払い戻ししない条件』ってありますよね。これってひょっとして、満席だったりして寝台で寝られなくても、寝台券の払い戻しはできないってことですか?」
駅員さん「そういうことになりますね」
私「うーん、ちょっとそれは...消していただけると嬉しいんですけど...」
駅員さん「そうですね...ただ、端末がもう出てしまっているので空席の状況だけは把握できません。それだけはご了承下さい」
私「はい、分かりました」
ということで、下の部分に訂正が入りました。
深夜の青森駅ホーム。
ゆっくりと北斗星4号が入線し、車掌さんが私を手招きしました。
車掌室横の扉のみ開けてもらい、そっと車内へ。
結果として寝台は空いていて、無事に寝床を確保することができました。
あれから10年以上の時が流れ、気がつけば、寝台特急「日本海」号、急行「きたぐに」号も過去のものとなりました。
来春にはいよいよ、日本海沿いを新幹線が走り始めます。
半日以上も同じ列車に乗りながら景色を楽しむということが、一つの贅沢になってしまった今、新幹線の開業にワクワクする気持ちとともに、昔を思い出してどこか寂しい気持ちを持っているのも事実です。